性を売る少女
昨日は、『私たちは買われた』展を見に行った。性を売る少女たち。この子たちは、快楽を求めているのではない。多くが愛情を求めて、自分の生を確かめるために、性を売るしかなかった。とってもピュアな女の子なんだと思う。
私は、売春をしたわけではないけれど、自分の恋愛にかなり近いものを感じた。
私も、幼少期の経験や人間関係などから、最近だいぶ自分への自尊心や肯定感が薄れていたと思う。自分を犠牲にして、好きな人のため…と、苦しいセックスもした。でも、相手が喜んでくれるのなら、それはとても幸せだった。
だけど、私は自分が何か分からなくなって、どうしたいかも、楽しいことも、好きな人がいなければ見つけられなくなっていった。
好きな人が私の全てで、私の生を完全に委ねていたんだ。
だから、幸せにできないと言われてしまった。
私が私でなくなっていることに、私の好きな人は気付いていたんだ。
今なら少し分かってきた。自分が自分らしくいること、自分を否定しないで認めてあげること、いつも自分だけは自分の味方でいること、感情に素直になること、我慢しないこと…
これが、1番の幸せの近道。随分と遠回りをしていたことが、今なら分かる。
昨日は、好きな人に久しぶりに連絡をした。性を売ることでしか生きている証明をすることができなかった少女たちが私に勇気をくれた。
今まで、彼との関係では、自分を大切にできなかったこと、いつも我慢していたことを伝えた。それと同時に、彼だけでなく私に関わる全ての人が大切であったことに気付いたこと、ダメな私も愛おしいこと、私が頑張らなくても、ありのままの私をまるごと好いてくれる人がきっといること…そして、彼と私の関係は決して無駄ではなく、彼がいてくれたからこそ、今があること、とても感謝していること…
全部全部、飾らない言葉で伝えることができた。
ラインはすぐ既読になった。でも、返信はない。それでも、いいと思った。きっと、私の言葉の重みを感じてくれているはずだと思えた。私も、言葉を並べるのには苦労したから、よく分かる。
返事はないけれど、沈黙の中に愛があるような気がしている。いつか言葉にしてくれることがあるなら、もちろんそれはそれで嬉しい。でも、愛は語らなくてもいつもあるということも、なんとなく分かってきたから、私は今日も笑顔で過ごすことができた。
性を売った少女たちが私にくれた愛のメッセージは、私を勇気付けた。貴方達に私は救われた。全ては無駄ではないと確信している。私は貴方達を、心から尊敬している。